
アルヴァンド山よりトゥイセルカーン方面を望む
ハマダーンはアルヴァンド山北麓にあるイラン最古の都市(古代メディアの首都)ですが、ハマダーンからアルヴァンド山の峠を南に超えた反対側の麓には、美しいトゥイセルカーンの村々が広がっています。


この緑に囲まれた村々では絨毯づくりが盛んでしたが、現在ではほぼ行われておらず、市場で見つけることができるトゥイセルカーン産の絨毯は古いものに限られます。
これらの緑、ほぼすべてがクルミの林です。クルミの殻って緑の果実の中の種子だったんですね。見たことが無かったので驚きました。イランではその部分をマグズ(脳)と呼んでいました。

チュパーン(牧童)のテント。アルヴァンド山麓では家畜の放牧の他、養蜂もいたるところで行われていて、のんびりした牧歌的な風景が広がります。

羊とヤギの群れ
羊たちのつけた鈴のカランカランという音が、吹き渡る風にのって流れます。

立派な角を持った雄ヤギ

おおー群れのボスかな

おおお・・・・

ゴツッ!「何者だお前」

こちらはアルヴァンドの峠道を南に超えた所にあるお店の自家製アイス。ローズウォーター風味のさっぱりしたイランの伝統の味。最中みたいなウェハースでサンドされていました。
その後トゥイセルカーンを後にして、さらに南、ナハーヴァンドへと向かいました。昔世界史で習った「ニハーヴァンドの戦い」。サーサーン朝ペルシャ帝国が、新興のアラブ・イスラームに敗れ滅んだ戦いの地です。ニハーヴァンドの他にもネハーヴァンドやナハバンドなど表記は様々ですが、「ナハーヴァンド」が一番原語に近いと思います。
それにしても、高原地帯にあったトゥイセルカーンと比べるとナハーヴァンドはかなり暑い。7月のイランの旅はへたばりそうです。
この地域ではそれほど多くは無いながらも、現在でも絨毯の生産が続けられています。ナハーヴァンドの東側の隣村、オシュヴァンド村が絨毯織りで名高く知られているので、行ってみました。

オシュヴァンド村の遠景。丘陵地帯の小麦畑の中の小さな村でした。

一軒の家で見せてもらった絨毯。洗い・仕上げ前にもかかわらずウールが輝いていてとても良質。しかし家の主人が、ハマダーンのバーザールの倍の価格を言い出して譲らないので、残念ながら買えず仕舞。
そういえば村への道中、ドライバーさんが「ノホド、ノホド!」と言って車を止めて、道端の畑から豆のなった束を(勝手に)とってきたので、車内で食しました。
“ノホド”とはヒヨコ豆のこと。生を見るのは初めてです。

枝豆みたいな殻の中に入っています。

色は黄緑色ですが、形はくちばしの付いたおなじみの形。生でそのままいけます。わずかな酸味があって少し青臭く、私は味見程度で終えましたが、ドライバーさんは好物らしく次から次へと無くなるまでずっと食べ続けていました。イラン人はヒマワリの種など、こういうツマミ物が本当に好きなので笑ってしまいます。
ナハーヴァンド市の西、ロレスターン州との州境のギーヤーンに渓流があるという話になり、暑かったので行ってみることに。



金曜日(休日)だったこともあり、公園はピクニックをする人々でいっぱい。シートを広げ、キャバーブを焼いたりチャイを飲んだりシーシャを吸ったり。
正直、田舎住まいの私にとってはこの程度の渓流、秋田弁で言うところの「さもない」(大したことのない)そこらにある小川だったので、何もこんな所に大勢集まらなくても・・・と思わないでもなかったのですが、家族でゆっくりと休日の時間を過ごす人々をうらやましく感じました。
“家族が大切” なのは日本人もイラン人も同じでしょうけれども、“家族と過ごす時間” はイラン人のほうがはるかに大切にしているようです。
私の旅も2週間を超えていた所だったので家族が恋しくなり、「帰ったら必ずピクニックに行こう。」とこの時誓ったのですが、いざ帰ってみるとイラン以上に日本の夏が暑くてピクニックどころではなく、今に至るまで結局行けていないのでした。