イラン西部、トルコ系の住民が多く暮らす、ザンジャーンを訪れました。
街の人口は40万位。そこそこ大きな都市です。トルコ系のアゼルバイジャン人が人口のほとんどなので、彼らが話す言葉はアゼリー語ですが、もちろん流ちょうにペルシア語も話します。
街の中心には大きなバーザールや歩行者天国があり、人通りでにぎわっています。
バーザールの乳製品屋さん。
この街で驚いたのが、バターやチーズのおいしさ。手前の豆腐みたいなのがチーズ、ガラス窓の内側の大きいかたまりがバター。右は羊のバター、真ん中は牛のバターと書いています。
ホテルでも朝食のバターは銀紙につつまれた既製品ではなく、ででーんと10kgくらいの大きなかたまりから切り分けていただきます。今まで食べたことが無い、とても自然で、いかにも「ホンモノ」な味でした。
絨毯を仕入れにきたので、バーザールの絨毯屋の並ぶ一角へ向かいます。店の人はいますが、お客さんはほとんどいません。それでも商売は「わるくない」らしいので、このバーザールで小売り、というよりはテヘランに送ったりする B to B の売上が大きいのでしょう。
ザンジャーンの絨毯バーザールも古く歴史があり、結構大きい規模です。置いてある絨毯はほぼこの地方のものか、タカーブやブーカーンのものがほとんどです。
ザンジャーン州の村々では昔から絨毯づくりが盛んでした。村や家によって絵柄の異なる、下絵の無い記憶だけで織られるさまざまなデザインの絨毯が織られていました。しかしながら、現在では、ゴルトクと呼ばれるタイプの幾何学的なメダリオンを持つマーヒー模様か、ビージャールのデザインのものが生産のほとんどになっています。
さて、絨毯をじっくりと選んで仕入れた翌日、案内人として紹介してもらったタクシーの運転手、ナシーディーさんと、ザンジャーンの村々での絨毯づくりを見学しに行きました。
向かった先は、ザンジャーンから南へ、ビージャールへ向かう国道を走って30km付近に点在する、カラ・サイード、チャタズ、オゴル・ベイといった村々です。
こんな感じの所です。村の中の道は舗装されていないので、雪が多く降って、それが溶けたらどうなってしまうんでしょう。
9平米サイズのビージャールデザイン(アフシャール)を織っています。トルコ結び(対称結び)で鉤針を使って、きちきちとパイルを結んでいきます。かなりのスピード。4人で織ると半年位で仕上がるそう。
この地域では絨毯を織るのは女性だけで、男性は織りません。また、あくまで各家庭ごとの労働で絨毯を織っていて、近所と協業する、といったことは無いそうです。
別のお宅にお邪魔します。ここでは小さい織機で1平米サイズを、奥様が一人で織られていました。
鉤針を借りて、私もやらせてもらいます。手ボケ(秋田弁でいう不器用)なもので、頭では仕組みがわかるのですが、何回やってもうまく結べません。私のあまりの不器用さに案内のナシーディー氏も苦笑い。
こちらのお宅では、今ではめずらしい、下絵の無い昔ながらのタイプの絨毯をおばあさんが織っていました。かぎ針は使わず指先で結んでいます。
パイルを1段結び終わると、シーラーゼ(耳)を結んで、緯糸を通し、金属の櫛で叩いてパイルを詰めます。ドンドンドンドンと音が響きます。その後、ハサミでパイルを切りそろえてから、次の1段をまた結びはじめます。
絨毯を織る部屋ではこのガスコンロが暖房代わり。ガスつけっ放し。さすが天然ガス埋蔵量世界第2位。きっとタダみたいなものなんでしょう。うらやましい限り。
古い絨毯といっても、売られるまでこのように織られた家で客間に敷かれてあまり踏まれないような環境だと、古くてもパイルにほとんど使用感が無かったりします。素朴な雰囲気がとても素敵です。
帰路、運転手のナシーディーさんが村の小さなお菓子屋さんに寄って、お菓子をご馳走してくれました。これは、ナティーフェというお菓子らしいです。やはり乳製品の品質が高いからでしょうか、中のクリームがとてもおいしい。殺風景な店構えの、昔の田舎の菓子屋みたいな所だったので、このおいしさにはびっくり。
今回運転手をしてくれたナシーディーさん。やたら絨毯を織っている村や家に詳しいと思ったら、それもそのはず。タクシーはあくまで副業だそうで、本業は絨毯の経糸張りの親方。帰りがけ、ご自身の工房に招いてくれて熟練の技を披露してくれました。
村の絨毯を織る家庭からの注文で経糸を張って納品するので、それは詳しいわけです。