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  • 執筆者の写真rugsrang

バンダレトルキャマンとカスピ海アーシューラーデ島



バンダレトルキャマン

 カスピ海沿岸のトルクメン人の街、バンダレトルキャマンへ行きました。

 バンダレトルキャマンはイラン北部ゴルガーン州にある人口5万人程の街。地図でいうとカスピ海の南東の隅の部分に位置します。バンダルはペルシア語で港を意味します。つまり「トルクメンの港」という意味の名前です。この地に100年前、港湾施設が建設され、はるかペルシャ湾へと繋がるイラン初の鉄道が敷設されました。第二次世界大戦中には連合軍の重要な補給ルートになったようです。しかし現在港は残っておらず、沖合のアーシューラーデ島へのボート乗り場があるだけです。


鉄道桟橋跡

  船に貨車が横付けできた桟橋の跡。ロシアによって造られたもの。


バンダレトルキャマン 鉄道

  今もバンダレトルキャマンを走る鉄道。


桟橋 バンダレトルキャマン

   アーシューラーデ島へのボート乗り場。


渡し舟 バンダレトルキャマン

  ヤマハの船外機。海外で日本製を見つけるとやっぱりうれしいですよね。


桟橋 バンダレトルキャマン

 時間もあったので島との往復チケットと島周遊ツアーの両方を船頭さんに頼みました。あわせて1,600円でした。島へは10分くらいで着きます。


アーシューラーデ島

  渡し舟が一艘、また一艘と島へと向かいます。


アーシューラーデ島

 アーシューラーデ島はキャビアの産地です。イスラム革命前の王政時代は村人が自由にチョウザメを獲ってキャビアを売れたそうですが、現在では完全にイラン政府の管理下に置かれています。「キャビアを坊さんたちに盗まれたんだ」なんて話も聞きました。


チョウザメのキャバーブ

 島のレストランで食べたチョウザメのキャバーブ。タラに似た味ですが、タラよりもプリプリと歯ごたえがあってとても美味。


スーサさん

 渡し舟(兼遊覧ボート)の船頭をやっているスーサさん。


 彼は生まれも育ちもアーシューラーデ島。しかし現在は島に村はありません。昔はこの写真の水面のあたりに運動場があって、サッカーで遊んでいたそう。カスピ海の水面があがり、村は沈んでしまったのです。


カスピ海の漁師たち

 漁師たちが湿原に船を寄せ昼休みをとっていました。「釣れますか?」「最近はあんまり獲れないね。」

 この辺の人たちは魚好き。内陸のイラン人たちが口をそろえて「魚は嫌い」というのと対照的です。


野生のイノシシ カスピ海

 自然豊かな湿原が広がります。野生のイノシシを発見。


カスピ海

 海の向こうはトルクメニスタン。カスピ海を吹き渡る風が本当に気持ち良いです。塩分濃度の関係か、あまり磯のにおいがしません。

 13世紀、イラン及び中央アジアを支配していたホラズム朝の王アラーウッディーン₌ムハンマドは、モンゴル帝国の侵攻を受けて逃げに逃げ、カスピ海のアバスクン島で病により最期を迎えたと伝えられています。その後アバスクン島はカスピ海に沈み、正確な位置は明らかではありませんが、おそらくこのアーシューラーデ島の近くにあったと考えられています。

 彼は死に際しその境遇を嘆いたそうですが、この輝く水面と緑の湿原が広がる美しい景色の中で死ぬのであれば、それはそれでまんざら悪く無いようにも思えます。

 そんな歴史ロマンに思いを馳せながら、何もかも忘れて観光を思い切り楽しんだ一日でした。


競馬場 バンダレトルキャマン

トルクメン馬

 バンダレトルキャマンにはトルクメン馬による競馬場があります(ギャンブル禁止なので馬券販売は無し)。残念ながらレースは開催されていませんでした。


絨毯屋街 バンダレトルキャマン

 バンダレトルキャマンの絨毯屋街。街中では織られていませんが、周辺の村々では今もかなりの量の絨毯が織られています。


バフマン絨毯店

 馬が大好きなバフマン氏。レートの関係もありとても安価。かなりの量を仕入れてきました。9月にはご紹介できると思いますのでご期待ください。

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